会長挨拶
西会長 ごあいさつ
「つなぐ力を世界に育む」JAPANバレーボール宣言が、協会から発信されています。この宣言を糧に、今までバレー王国豊橋という時代を過ごしていたこの地域が、また再度バレー王国といわれる地域になるために今求められるものは、今必要とされるものは。
スポーツも多様化し、男子女子の垣根なくいろいろなスポーツを選べる今の時代、協会としても、今の時代に合った動き方、運営方法を考える時が来ているような気がします。すばらしいプレーヤーを豊橋からという目標も重要ですが、バレーボールを通して仲間とつながる。そして、バレーボールを通して夢と希望を叶える。そして宣言のとおり、つなぐ力を育むバレーボールが、未来を切り開いていくことに繋がると考えます。
この地域もバレーボール人口の減少が顕著となり、小中学生からバレーボール人口を増加させる魅力あるバレーボールの環境づくり、そして魅力ある協会の運営に力を注いでいきたいと存じます。
魅力ある豊橋、魅力ある社会を築くために、バレーボール協会が皆様のお役に立てればと思います。
事業報告と事業計画
令和6年事業計画 | PDFファイル |
令和5年事業報告 | PDFファイル |
令和5年事業計画 | PDFファイル |
令和4年事業報告 | PDFファイル |
令和4年事業計画 | PDFファイル |
令和3年事業報告 | PDFファイル |
令和3年事業計画 | PDFファイル |
令和2年事業報告 | PDFファイル |
令和2年事業計画 | PDFファイル |
平成31年事業報告 | PDFファイル |
平成31年事業計画 | PDFファイル |
平成30年事業報告 | PDFファイル |
平成30年事業計画 | PDFファイル |
平成29年事業報告 | PDFファイル |
平成29年事業計画 | PDFファイル |
平成28年事業報告 | PDFファイル |
平成28年事業計画 | PDFファイル |
平成27年度事業報告 | PDFファイル |
協会の歴史
橋市では戦前より豊橋中学(現時習館)や豊橋商業、豊橋高女(現豊橋東)、藤ノ花女子校等に排球部があり地道な活動がなされていた。終戦直後の秋に再び豊橋中学・豊橋高女を中心に各校で部活動が再会された。そして豊橋高女の鈴木紋吉、豊橋中学の生田実の両先生によって協会設立の話が進み、理事長鈴木紋吉、副理事長生田実で豊橋市体育協会バレーボール部会が発足した。
豊橋市は苦しい生活の中でもスポーツに取り組み、昭和21年11月 3日市政40周年記念市民体育大会バレーボール大会を豊橋高女校庭で開催した。
昭和22年に豊橋バレーボール協会が設立され、初代会長に神野太郎(豊橋商工会議所会頭)理事長に鈴木紋吉(豊橋東高校)が選ばれた。その他の中心になった顔ぶれは次の通りである。
事務局長に井川 要(牟呂中学)、常任理事に福田政二(南部中学校)・林 健一(桐クラブ)・村田堅太郎(時習館高校)・藤野正治(豊城中学校) また伊藤八百二(時習館高校)をはじめとして15名が理事として就任した。
■協会の歴史と現況
協会発足当時は一般の部だけで活動していた。昭和54年に豊橋バレーボール協会の規約が改正され、家庭婦人部会が設立され登録制度を実施するようになった。平成元年にソフトバレーボールが行なわれるようになり、競技人口が増えたために、平成5年にソフトバレーボール部会を設立し登録制度にした。このように現在のバレーボール協会は、一般・家庭婦人・ソフトバレーボールの三部会から成り立っており、各部会で定期大会を設けて運営している。
また昭和62年の日米対抗女子バレーボール大会を始めとして、日ソ・日ロ対抗女子バレーボール大会等の国際試合が豊橋で毎年行なわれ地元協会として運営に協力してきた。
特に、平成6年に行なわれた[国民体育大会少年の部]の運営に関しては、前年のリハーサル大会も含めて数年前から準備に入り、国民体育大会の難しさと成功の喜びを味わうことができた。
平成元年に豊橋市総合体育館が開館し、その時に「開館記念行事としてできるだけ多くの人を集めたい。」という豊橋市の要望に答えるため、「バレーボールフェスティバル」という名称を使い、ゴールデンウィークの4日間で3500名を集めてバレーボール大会を開催した。それ以来豊橋市の協力も得てゴールデンウィークに一般男女(1日)・家庭婦人(1日)・ソフトバレー(3日間)の大会を毎年開催している。
今後の課題としては、一般女子のチーム数が少ないので、もう少し増やして活気のある大会にすること。また、一般男子は中年・壮年になってくると体力の衰えとともにバレーボールから離れていってしまうので、国民体育大会の成年二部のように年令制限・特別ルール等を設けるなどして何才になってもバレーボールが楽しめるようにしたい。競技人口が増えてきている家庭婦人・ソフトバレーについては、試合会場を確保してスムーズな大会運営ができるようにしていきたい。
バレーボール協会創立60周年をむかえ、これからも地域スポーツの振興に貢献していきたい。 現在の会員総数 3600名
○[一般の部について]
協会の発足当時からあり、協会の活動の中心であった。チーム所在地が豊橋市であればクラブチームでも実業団チームでも登録することができ、年三回試合を行なっている。
・現在の状況
登録数 男子 20チーム 400名
女子 7チーム 150名
定期大会 一般男女バレーボール大会 (春季・夏季・秋季)
○[家庭婦人の部について]
家庭婦人の大会としては、昭和42年10月10日に豊橋市と体育指導員が中心になって開催された、「第一回校区対抗家庭婦人大会」が最初の大会である。バレー協会もこの大会の運営に協力した。三者の協力でこの大会はしばらく続いた。その間に家庭婦人の組織を作ってほしいという要望はあったが、当時はまだ日本バレーボール協会にも家庭婦人の組織がなかったために、豊橋でも作らずに同好会という形で活動していた。
昭和45年に、全国および愛知県家庭婦人バレーボール組織委員会が作られ、第一回の家庭婦人全国大会が始まった。52年に県協会の中に家庭婦人連盟が発足し、それにともない豊橋バレーボール協会として昭和54年に、村松和美を部長とする[家庭婦人の部]を設けることとなった。村松家庭婦人部長の下で組織は充実していき、審判・競技関係も講習会を受けて家庭婦人だけで大会運営ができるようになった。全国大会・国際試合の運営を何回も経験しており、その組織力・行動力は県下一である。
・現在の状況
登録数 79チーム 1200名
定期大会 ・豊橋家庭婦人バレーボール大会
・家庭婦人チャレンジカップバレーボール大会(1部~6部)
・丸栄カップブロックリーグ戦
○[ソフトバレーボールの部について]
ソフトバレーボールは平成元年に、文部省(現文部科学省)生涯スポーツ課の要請により、日本バレーボール協会が生涯スポーツとして作った種目である。豊橋市ではその年の8月に校区の体育指導員を集めて講習会を開き、各校区での講習会を約 300回ほど行い、第二回豊橋バレーボールフェスティバルにおいて初めての大会を開催した。その時は 100チームの参加があり、生涯スポーツとして年令・性別に関係なく誰でもできる種目として大変人気のあることがわかり、毎年行なうことになった。
その後「大会数を増やしてほしい。」という要望があり、平成5年に[ソフトバレーボール部会]を設立し、個人登録制度をとり年3回の大会を開くこととした。当初 700名の登録者であったが年々増加しており、8種目で年間4回の大会を実施している。
日本協会がソフトバレーボール連盟を作ったのは平成8年であり、豊橋市よりも遅れてスターとした。大会規模・競技人口ともに豊橋が一番であり、ソフトバレーボール発祥の地である。生涯スポーツとして今後も発展が予想される。
・現在の状況
登録数 163チーム 1850名
定期大会 ソフトバレール大会(年4回)
種目 男子Ⅰ部・Ⅱ部、女子Ⅰ部・Ⅱ部、
男女混合Ⅰ部・Ⅱ部 ファミリーの部、トリムの部